Writer/Editor: Maaya Sato(佐藤万斐)
Women in Technology Japanは、日本のテック業界におけるジェンダーギャップを解消し、ダイバーシティ&インクルージョンを推進することをミッションに掲げています。
このRole Model Interviewを通して皆様がインスパイアされ、勇気を持って自分が本当に輝き、理想とする職種や業界に転職したり、就職したりできるような世の中になること、そして一人でも多くの方々にIT業界で働く可能性について知っていただきたいという思いで活動しています。
今回のインタビューでは、外資系コンサルティング企業から、国際機関へ異例の転職を果たし、フィリピンやウガンダでユニセフの職員として働くという夢を叶えた野呂(中島)朋子さんにインタビュー。彼女が教育の道を志したきっかけは?夢を叶えるまでのストーリーとは?
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Q1. 自己紹介をお願いします!
フリーランスで教育コンサルタントとして幾つかの国際機関と仕事をしています。
慶應大学大学院の社会学研究科で教育学を専攻し、在学中にイギリスのCardiff University School of Social Sciencesに留学して、主に教育行政について研究しました。帰国後のファーストキャリアとしてプライスウォーターハウスクーパース(PwC)に入社。4年間、日本政府や国内外の企業に対するコンサルティングサービス、新興国関連の調査事業を担当しました。
その後どうしても教育の世界が諦めきれず、外務省のプログラムに応募して試験合格をきっかけに転職し、念願の国連機関である国際連合児童基金(ユニセフ)のスタッフとして、フィリピンやウガンダで教育支援に従事しました。
Q2. 教育に興味を持ったきっかけは?
2-8歳までアメリカに住んでいて、帰国後にアメリカと日本の教育の違いに関心を持ったことと、小学校でのある体験がきっかけです。
ユニセフの取り組みの一つとして、学校で途上国の現状を伝えるための劇に参加する機会があり、そこでバングラデシュの女の子役をやりました。
「本当は学校に行きたいのに、働かないといけない!」、と全校生徒に向かって言う台詞だったのですが、自分で演じながら、学校に行きたくてもいけない子がこの世界にいる、という事実に衝撃を受けました。
なんとか力になりたいと、次の日にはティッシュ箱で募金箱を作って、学校の門のところで、ユニセフ募金をお願いします!と呼びかけたのを覚えています。
今振り返ると、ここが原点だったと思います。
Q3. 小学生の頃から関心があったんですね!大学院では教育専攻だったと思いますが、そこでの経験は今でも生きていますか?
大学院に進学したこと、そして在学中に留学する経験を得られたことは、今の仕事をする上で、その経験が本当に生きていると思います。
留学中は授業準備や課題におわれ、これ以上はもう勉強できないとくらい勉強する経験を得ることが出来ましたし、大学内のUNICEF on Campusの活動も携わりました。
留学中にちょうどハイチで大地震があったので、仲間と夜通しクッキーを焼き、1枚1ポンドで売って、その売上を全額ユニセフに寄付したこともありました。あとは寄付してもらう代わりに、大学内の寮のキッチンを掃除してまわったことも。
自分がその時できることをやる、行動することの大切さについて学んだ気がします。
Q4. 大学院卒業後のファーストキャリアでコンサルを選んだ理由を教えてください!
ちょうど私が帰ってきた時は、リーマンショックで就職氷河期の真っ只中でした。留学から帰ってきた人向けの留学フェアも参加しましたが、採用状況はかなり厳しく、高学歴ワーキングプアになる寸前だったので、正直たくさんの選択肢はありませんでした(笑)
その中でご縁があったPwCは、イギリスでは知名度が高くて就職希望ランキング1位をとるくらい人気の就職先。イギリスでは国際機関の仕事をたくさんしていることも魅力の一つでした。
入社当初に配属された金融部門を経て、新興国支援室という、途上国への日本企業の進出支援をしている部署に手を挙げて参加させてもらい、様々な案件を担当しました。
Q5. そこからユニセフへ。キャリアチェンジした経緯は?
PwCでは、途上国に関連するプロジェクトに参加できることが本当に嬉しくてやりがいもありました。ただもっとダイレクトに子ども達の教育に貢献出来るようなキャリアに挑戦してみたい、これからの人生はその道に全力投球したい、という気持ちはずっとありました。
本当に辞めていいのかなって何度も迷うくらい大好きな会社でしたが、夢を叶えるために思い切って転職を決意しました。
キャリアチェンジを志したものの、転職活動は1年ほど思うようにいきませんでした。それまで教育に関連する職についていなかったこともあって、NGOはおろか、国際協力の公開講座にすら応募しても引っかからなかったんです。狭き門でした。
そんな中、外務省のプログラムを見つけて応募しました。危険なところも行くし、お給料が下がっても、どうしてもやりたいんです!と訴えて、ユニセフフィリピン事務所にUNV(准職員)として働けることに。小学生からの夢が叶いました。
フィリピンで2年働いた後、今度は外務省のJPO(Junior Professional Officer)派遣制度に合格してウガンダ事務所へ。3年間諦めずに毎年プログラムに応募したかいがありました。
Q6. 憧れだった職で教育支援に携わっていかがでしたか?
毎日本当に夢の中を歩いているみたいな気分でした(笑)
PwCで新興国支援室で仕事をしていた時、自分が携わる調査の結果として生み出されるインフラや雇用が、その国で最も支援を必要としている女性や子どもたちによい影響をもたらすものでありますように、と祈るような気持ちで仕事をしていました。
ユニセフに転職したあとは、自分のする仕事のすべて、それこそ、議事録をとることやコピーをとることでさえも、その国の子ども達の未来のためだと感じることができ、仕事に行くのが楽しくて仕方がなかったです。
また同僚たちも基本的にみんな子どもが大好きで、この国のこどもたちの教育のために何かしたいと国内外から過酷な競争を経て集まってきた人たちばかり。人種、文化、宗教、言語等、様々な違いをお互いに認め合った上で、共通の目的のために団結して協業する喜びは、なにものにもかえられません。
Q7. 時には過酷な状況での支援を余儀なくされるそうですが、身の危険を感じたことは?
たくさんあります(笑)
思い出に残っているのは、フィリピンの武装勢力の紛争地域にいる子ども達に教育支援をすることになった時に、奥地にある学校を訪問した帰り道のこと。道が塞がれ、1車線しかない山道で武装勢力の車と鉢合わせになったんです。トラックの荷台には武装して銃を担いでいる反政府組織の兵士が20人ほど乗っているのが見えて、「これはまずいことになった…」と焦りました。
車内に緊張感が漂う中、なんと向こうの車があっさりと、戻りにくい道をバックして道を譲ってくれたんです。さらに、すれ違う時は目出し帽やマスクをとってこちらに向かって笑顔で手を振ってくれて。
すれ違った後、「安心して、だってこの車にはユニセフのマークがついてる。ユニセフは政治的立場に関係なくワクチンや教育の機会を与えてくれることを彼らもわかっているんだよ。」とユニセフのドライバーさんが教えてくれました。それを聞いた時、どんな立場であれ、誰でも自分の子どもたちには少しでもいい人生を、そして明るい未来を歩んでほしいと願っているのだと強く感じました。
この仕事をすることで死ぬかもしれない怖さよりも、自分がやっていることのやりがいの方が大きかったです。
Q8. 個人コンサルタントとして様々なプロジェクトに従事していますが、今の働き方を選んだ理由は?
日本に帰国するか、国連職員としてさらにキャリアを積むのか悩んでいた時期、ユニセフの同僚と話したことがきっかけになりました。
ウガンダで一緒だったその同僚は、これまでにソマリアなど紛争地域や危険な地域の配属も経験している方で、主夫の旦那さんと子供が2人いる方でした。その方が、
「もし、あの角を曲がった時に爆弾が仕掛けられていて、自分が死んでしまうって思った瞬間に考えることってなんだと思う?ああ、明日締め切りの報告書が終わっていない、とか、もっとキャリアアップしたかった、みたいなことは一切考えないと思うの。思い浮かべるのは、パートナーや、子ども、両親、自分が愛する人たちのこと。もちろん仕事も大切だけど、それ以上に大切なものはあると思う。」
大好きな仕事だから、これからの人生の中で、また絶対に国連の教育支援の現場には戻りたい。でも同僚のその言葉を聞いて、学生時代から付き合ってきたパートナーと子どもを持つタイミングを考えたら今だと思い、日本に帰国する決断をしました。私の夫は青森県で水産の専門家として仕事をしているのですが、帰国後も国際機関を通じて教育支援を行う仕事を諦めたくなかったので、今の仕事の形になりました。
Q9. 同僚の言葉が刺さります…! そしてどんな状況でもやりたいことを諦めない朋子さん素晴らしいですね!
ありがとうございます。帰国するに当たって、「どの場所にいても、いかに自分の夢を諦めずに国際機関の仕事を続けるか。」という挑戦にチャレンジすることにしました。
「日本に帰ったから子供のころからの夢は諦めた」とは絶対に言いたくなかったので、自分のこれまでの経験をもとに貢献できると思う仕事を探しては応募しました。
具体的には、各国の国際機関が出す専門家の公募情報から、自分の経歴に合致する分野の仕事を選んで応募し、半年〜 1年程度のプロジェクトに携わっています。各国の国際機関と直接契約を結び、必要とする専門知識や経験を提供するコンサルタントとして業務を行っています。
特に私は教育セクター分析や教育計画の策定支援、資金調達が専門なのですが、おかげさまで帰国後も様々な機関から契約を頂くことができ、青森にいながらやりたかった仕事に携われています。
Q10. キャリア構築の上で意識していることはありますか?
夢を口に出すこと、そして自分のスキルを常に高める努力をすることだと思います。
今自分が歩んできた道を振り返ってみると、最初はすべてが無謀な挑戦だったと思います。
いつかは途上国で子どもたちの教育のために働く、ユニセフで正職員として仕事をしたい、青森でも国際機関の仕事をしたい等、無謀に思える夢や挑戦を、自分を追い込むためにも口に出して周りに宣言します。結局言ってしまったからには、やらないとカッコ悪いので(笑)
あとはスキルを高める努力をし続けることでしょうか。働く傍ら、大学院に戻ったのも、子どもたちのためにもっと役に立てるようになりたいという気持ちからでした。
Q11. 朋子さんが思う、女性のエンパワーメントってどんなことでしょうか。
個人的な意見ですが、一人一人が自分らしくいられることがエンパワーにつながるのではないかと思っています。
国際機関で働いてみて感じたのは、女性か男性かというよりも、その人自身がどうかということに、ここで働く人たちは目を向けている、ということでした。
それぞれ違う国や文化、宗教で育った人たちが集まっている環境で、みんなが協力して力を合わせないとゴールには辿り着けない。だからこそ、お互いの違いを認め合って、みんなが気持ちよく働けるために行動する、という意識が強かったように感じます。
お互い認め合って支えあえるようになると、自分が自分らしくいられるようになって、それがエンパワーメントにつながるのではないかなと思っています。
Q12. 朋子さんの目標や、キャリアゴールを教えてください!
キャリアゴールという意味では、私は幸運にも、子どものころからの夢を叶えることが出来ました。これからの自分の課題は、いかに仕事の質をあげるかだと思っています。
自分の携わる仕事が、その国の子ども達の未来に1ミリでも影響を与える可能性があるのであれば、自分の能力の限界が、子どもたちの未来に対して、少しでも足を引っ張ってはいけない。だからこそ自分のスキルを少しでも高めて、「本当は学校に行きたかった」と思う子どもたちが一人でも少ない世界を作るために少しでも貢献出来るように、これからも精進していきたいと思っています。
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